根本 利通(ねもととしみち)
中村美知夫『「サル学」の系譜-人とチンパンジーの50年』 (中公叢書、2015年)
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本書の目次は次のようになっている。
まえがき
第一章 チンパンジー研究前史
第二章 類人猿を追って
第三章 黎明期のマハレ
第四章 カジャバラ集団の消失と国立公園の制定
第五章 研究の深化とントロギ時代の終焉
第六章 「チンパンジー文化」の時代
第七章 西田の死と苦難の時代
第八章 新たな時代を紡ぐ
あとがき
2015年9月には東京で、11月にはタンザニアのキゴマでマハレ調査50周年記念の式典が開かれた(ダルエスサラーム通信「マハレ調査50周年記念」参照)。これは伊沢紘生が8月に予察し有望となり、10月に西田利貞がマハレで調査を開始した1965年から勘定されている。本書はその東京の式典に間に合うように執筆された、マハレ研究50年史である。
「まえがき」は、1965年10月11日夜 まだ24歳の大学院生だった西田利貞がカシハに到着するところから始まる。これがマハレのチンパンジー調査50年史の始まりなのだが、それに加えて著者は今西錦司の「文字はおろか言語というものさえもたない動物の社会の中にはいりこんで、観察者がその社会の動きを、動物にかわって徹底的に記録する。そして、こうした記録の集積をまったはじめて明らかになってくるような、その社会の歴史性の研究である」(1960年)という宣言を加えている。つまり研究史だけでなく、その対象となったチンパンジー社会の歴史をも描きだそうとする。
できるだけ手にとって読んでもらった方がいいと思うので、内容の紹介は簡単にしよう。第一章と第二章はマハレの研究前史である。今西錦司と伊谷純一郎という日本の霊長類学の創始者たちの試行錯誤を描く。1948年彼らが幸島に降り立ったところから始まる。ニホンザルの研究が大成功を収め、10年後にはアフリカに類人猿を求めて旅立つ。それがゴリラからチンパンジーに対象が変わり、いくつかの候補地のうちにマハレが残ってくるという流れが描かれている。が、ここでもっとも興味深いのは今西錦司の思想だろう。これが日本の霊長類学(サル学)、そしてマハレの研究の方向に大きな影響を与えた。
第三章と第四章はそのマハレで餌づけが成功し、長期的な調査基地が作られ、初期段階で伊谷、西田によってマハレの保全案が考えられていく。それはJICA専門家の派遣という形での調査の結果、1985年マハレ山塊国立公園の設立という形で結実する。この間、西田、川中健二、上原重男たちによって、チンパンジー社会の構造が少しずつ明らかになって行った。それは先行していたゴンベのジェーン・グドールたちの研究とは少し異なる方向となった。西田による単位集団であるK集団とM集団の発見。K集団のなかの雄の政治的駆け引き、オオアリ釣りという道具使用、対角毛づくろいという文化慣習などが観察されていく。
第五章と第六章はM集団のントロギの長期政権時代とその後の変化となる。ントロギは1回失脚するも復活して、合計15年の第一位雄であった。雄大な体を持っていて、私も会ったことがある。この時代にさまざまな発見が見られ、研究は進展した。しかし、この時代を典型と考えていいのだろうかと著者は疑問を呈する。「社会は変わる」ということを雌の集合の例を挙げて説く。またチンパンジー文化の研究も盛んになってきた。
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マハレ国立公園地図
第七章と第八章は新しい世代によって継承されたマハレでの調査研究の歴史と現在を語る。1990年代に若き研究者がどんどん参入したのとはうって変わり、2004年の西田の京大退官、上原の死去(2004)、川中の死去(2006)と打撃を受け、新しい研究者の参入は減り、予算の獲得も難しくなって行った。これは日本の国家戦略が短期間で経済効果の上がる研究に偏重し出して、フィールドワークによる基礎研究を軽視する風潮と絡むだろう。そして西田の死去(2011)を契機として、完全に若い世代に研究体制は引き継がれた。
本書の中で読み物としておもしろいのは一連の「コラム」である。コラムではマハレのチンパンジーの帝王ントロギから始まり、さまざまなチンパンジー群像が描かれている。主に取り上げられているのは20頭ほどだが、それに関連して名前が挙げられているのはなんと60頭にもおよび、M集団の歴史が浮かび上がる。これがマハレの研究の特色なのかもしれない。私個人が出会ったことのある個体も数頭、顔が思い浮かべられる個体もいる。
読んでみて気になった、あるいは疑問に感じたことを少し記しておきたい。まず「チンパンジ―は父系社会である」ということであるが、これは非母系、あるいは雄系というべきものではないかと思った。父系制の定義なのだが、人間社会では父の血統、名前、財産を継ぐ者ということだろうが、チンパンジーのような乱婚社会では、父子関係の特定、自己認識はどこまでできているのだろうか。生物学のなかでの父系制の定義はそんなことは気にしないのだろうか。移出するはずの雌が集団に残って出産する年がいくつかある。雌間の共同に関しても、まだ未解明の部分が大きいようだ。
人間以外の「歴史」を語るということについて。私は西田、川中の語るK集団やM集団の第一位雄をめぐる合従連衡の話を聞いて、これは三国志だなぁと感じたことを思い出す。従って、マハレのチンパンジーたちの歴史が語られるのには違和感がない。雄たちの政治的な話に偏向していたのは初期の調査の特徴かもしれないが。「研究者である人間の側の歴史であると同時に、一方では研究者たちが記録してきた人間以外の存在者たちの歴史でもある」(P.249)という。もっというと調査助手以外のトングウェの人たちをふくめたマハレを中心としたキゴマ地域の歴史でもあろう。「歴史を自然に対立させ、歴史を人間だけのもののように考える人たちの反省を促す」(今西、1941)という流れの末にあるのだろう。
しかし、今西、伊谷が先導した日本の霊長類学=「サル学」が必ずしも世界にそのまま受け入れられたわけではなく、厳しい批判を浴びてきたということが大きなテーマになっている。1975年に発表された「社会生物学」が世界の生物学に大きな影響を与えたらしい。この社会生物学というのがよくわからない。半可解なのだが、適応的意義で説明しようという考えに、なぜ社会という言葉が冠されているのだろうか。社会とか文化とかとは遠い生物学のように見えるのだが。西田はこの社会生物学を積極的に受容していったようだが、その直系の著者から見た解釈が妥当なのか否か。「サル学」は佐倉統からは「(科学の)ルールを守っていないのだから試合にならない」という激しい批判を受け、また長谷川眞理子からは「学問的に粗雑で不正直だと思った」と言われたらしい。「科学的である」ということは何なのだろうか。西欧で生まれ育った自然科学の伝統、あるいは思考方法に沿っていないといけないということだろうか。
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私自身が典型的な文系人間であり、高校生のころは数学や物理・化学のできる人間に対し「彼らの方が頭がいいのかな」という劣等感を持っていたように思いだす。「科学的でない」という否定は怖かった。歴史学という社会科学を選んだが、その中でも人文科学的というか、あまり実証的ではない歴史を志向してきた。つまり「文献に残っていない人たちの上にも同じ時代の流れはあったはずだ」ということだ。それを「証拠がない空想に過ぎない」という批判に耐えられるまでに煮詰めないといけない。
西田は私が会った1980年代終わりは、すでに押しも押されもせぬ国際的な大霊長類学者で、日本のトップランナーと見なされていた。そうであるがゆえに、欧米に伍して最先端を走るために、余分と思えるところを削ぎ落としていったのかもしれない。西田にごく近しい人から「最近は専門の本ばかり読んでいて、おもしろくなくなった」とつぶやかれたのを思い出す。伊谷門下の人類進化論研究室からは「サル屋」「ヒト屋」が輩出した。しかし、西田直系からはトングウェなどへのヒトへの興味が薄れていったように思える。そういう余分なこと(?)に関心を持っていたら論文が書けないということか。
やはり、私はトングウェの人たちの群像の方に興味がある。第七章に出てくるムトゥンダという森の達人。子どものころに原野での生活を経験した最後の世代で、広域調査で能力発揮、水場探しや、食べられるキノコなど動植物の特性を知り、自然の中から必要なものを最小限調達する暮らしを経験してきたのだろう。伊谷や西田の初期の著作でも、生き生きと躍動的に語られるトングウェの人たち。それが国立公園化に伴い公園外に移住させられて30年。若い著者よりも今の若い調査助手たちは知識の蓄積がなく、動植物のトングウェ語も忘れられつつある。伝統は変わりゆくものだが、やはり危機感を覚えるだろう。
著者は言う。「地元の人たちが、身近な自然に愛着を持ち、それに対する豊かな知識を誇りに思い、周囲を取り巻く環境に多様な生き物たちが暮らしている状況を今後も守っていきたいと考えるのでなければ…チンパンジーやその他の生き物たちの保全は達成されないだろう」(P.270~1)。これはマハレ30周年のセミナーで、地元出身のダルエスサラーム大学の歴史学科のタンビラ教授(2015年死去)の語った要旨と響き合う。
そして著者は最後に淡い夢を見る。M集団で生まれ育ち、移籍せずに出産した雌の子どもが雄だった。2014年生まれ。順調に育てば雄は移籍しないから、そして寿命の長い個体は50年以上生きるから、マハレ研究100周年を迎えるころ、M集団の長老として存命かもしれない。そのころ図書館の片隅に埃をかぶっている本書を手に取ってくれたら…と。歴史は未来につながるものなのだ。どういう歴史が紡がれていくのか。
☆地図は『Wanyama wa Mahale』から。
☆参照文献:
・中村美知夫『チンパンジー―ことばのない彼らが語ること』(中公新書、2009年)
・西田利貞『精霊の子供たち』(筑摩書房、1973年)
・西田利貞・上原重男・川中健二編著『マハレのチンパンジー』(京都大学学術出版会、2002年)
・伊谷純一郎『チンパンジーの原野』(平凡社ライブラリー、1993年、初版1977年)
・小川秀司『たちまわるサル』(京都大学学術出版会、1999年)
・M.Nakamura,K.Hosaka,N.Itoh & K.Zamma『Mahale Chimpanzees-50Years of Research』
(Cambridge University Press,2015年)
・Koichiro Zamma Ed.『Wanyama wa Mahale』(Mahale Wildlife Conservation Society,2015年)
・根本利通『タンザニアに生きる』(昭和堂、2011年)
(2016年1月1日)
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