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Habari za Dar es Salaam No.163   "Uchaguzi Mkuu 2015, Rais Mpya" ― 2015年総選挙、新大統領決まる ―

根本 利通(ねもととしみち)

 10月25日に総選挙が行なわれ、新大統領が決まった。「総選挙の年が明けた」「大統領官邸への道」「候補者出そろう」「ニエレレの足跡(2)」と追ってきた結果がほぼ出た。

📷 乱雑に貼られた与野党のポスター  今回の総選挙の特色は、独立以来続いてきたTANU(タンガニーカ・アフリカ人民族同盟)-CCM(革命党)の一党独占支配体制が初めて崩れるかという危機感があったということだ。振り返ると1995年、複数政党制が30年ぶりに導入されたなかでの初めての総選挙で、副首相をかつて務めていたムレマがCCMを離党して野党(NCCR=建設改革国民会議))の大統領候補として出馬した時、CCMが危機感を持ったこともあった。何せ初めてのことであったから、不測の事態が起きることを恐れて在留邦人が家族を国外に脱出させたりした。結果は、ムレマ候補の得票率は27.8%に留まり、善戦の域を出なかった。その後、3回の大統領選挙が行なわれたが、CCM候補を脅かす相手はおらず、前回(2010年)の野党トップのスラー候補(CHADEMA=民主開発党)が26.3%だった。

 今回はCCMで首相まで務めた有力者エドワード・ロワッサが、CCMの党大会での指名を逃し、野党連合(UKAWA=民衆憲法同盟)のなかのCHADEMAに移籍して出馬するという異例の状態で、CCM候補のマグフリ建設相と実質的に一騎打ちになった(ほかに6人の候補者がいた)。ダルエスサラームで見ていると、選挙ポスターはともかく、従来はCCMしかなかった大きな商業広告や旗などもCHADEMAのものがばんばん出していて、選挙資金の潤沢さを感じさせた。また学歴のない若者たちの職場となっているバジャジ(三輪タクシー)やボダボダ(バイクタクシー)にCHADEMAの旗を立てて走りまわっているのもよく見かけた。失業率の高い若者たちの不満の受け皿になっているのか、それだけ資金が投入されているのかはわからないが、お金が動いていることははっきり見えた。

 野党候補が潤沢な資金を持っているということは、ロワッサという候補が特別であるのか、あるいは従来は政権与党と表裏一体となっていたアジア系の資本家たちが野党にも賭けだしたのかはわからない。となると、政権与党安泰説を採ってきたが、かなり接戦に持ち込まれるかもしれないというのが、選挙前のダルエスサラームでの感触であった。しかし、政権交代といっても、CCMのロワッサ派の幹部がや元首相が一部CHADEMAに合流したように理念的な違いはあまりなく、個人の野望と利権争いという趣であった。ムウィニ元第二代大統領が揶揄していたように「CCM-AとCCM-Bとの争い」という側面もあった。どのみち、これだけ選挙戦にお金を派手に使われたら、選挙後はばらまかれたバラ色の公約を実現するためには増税だろうなというのが一般庶民の感覚であった。

 大統領選挙の結果を見てみよう。10月29日のNEC(中央選管)発表による。

📷 一騎打ちの大統領候補   ・マグフリ(CCM):8,882,935票(得票率58.46%)   ・ロワッサ(CHADEMA):6,072,848票(得票率39.97%)   ・その他の6党候補合計:238,079票(得票率 1.57%)   ・登録有権者数:23,261,440人   ・投票者数:15,589,639人(投票率67.31%)   ・無効投票数:402,248票   ・有効投票数:15,193,862票

 280万票差が開いた。得票率でいうと、55%対45%くらいかな(ほかの6人の候補分は除く)と思っていたから、やや差が広いように感じた。これはUKAWAがクレームしているように、農村部での集計時における不正があるために広がっているのかもしれないが、逆転するような数字ではないだろうと思わせる。ただ、ロワッサは「自分が62%の得票で勝っているはずだ。手作業による集計のやり直しを要求する」と言って、NECの選挙結果に合意せず、マグフリの当選証書授与式に出席しなかった。

 正確な集計・分析は後になるが、ロワッサ票がマグフリ票を上回ったのは、州単位でいうと地元のアルーシャ、CHADEMAの発祥地キリマンジャロ、ダルエスサラームとペンバの南北州の5州(全国30州)だろうと思われる。国会議員選挙と連動してるので、イリンガ、ムベヤなどの都市部では強かった。ただ、前回の選挙で野党がかなり進出を示したムワンザ、マラ、カゲラなどの人口稠密なヴィクトリア湖周辺の州では、マグフリの地元ということで伸び悩んだ。

 今回のCCMの選挙戦略はマグフリを前面に押し立て、マグフリ対ロワッサの勝負に持ち込もうとしたということだろう。選挙ポスターや看板広告にCCMの党のカラーである緑と黄色は使うが、CCMとは大書せず党のロゴだけ。街頭集会でも、CCMと連呼せずにマグフリの名を連呼する。看板広告にはマグフリの姿を大きく出して、それに「仕事一筋の人」「清廉な人」「指示を徹底する人」と、マグフリが仕事熱心で金銭スキャンダルがないことを強調していた。明らかに大資産家ロワッサを意識して対照的に浮かび上がらせようとしていた。これは党大会でロワッサ、メンベ外相という二大派閥の候補を外してマグフリを選んだCCM党長老の戦略・叡智だったのだろうという気がする。

 第3の候補として、一部のマスコミでそれなりに取り上げられていたACT(変革と透明性のための連合)のムグウィラ候補は98,763票(0.65%)に留まり、存在感を示せなかった。ACTというのは、汚職追及(「エスクロウ・スキャンダル」参照)で名を挙げたジットー・カブウェ議員が、CHADEMAから除名されて立ち上げた政党であった。カブウェ自身が39歳で大統領立候補資格(40歳以上)がなく、その身代わりと見なされたため、初の女性候補であるという以外には知名度もあまりなく、第3極を形成するには至らなかった。しかし、5年後にはカブウェ自身が出馬するだろうと取りざたされている。

 265選挙区(前回は239選挙区)で行われた国会議員選挙は、全部で22政党の1,218人の候補者で争われた。うち選挙期間に6人の候補者が死亡し、その選挙区では選挙が延期(11月22日の投票の予定)になった。それにしても6人の候補者の死亡は多いし、ほかに大統領候補を失格となったが国会議員選挙の応援に走り回っていた野党の党首が1人死亡しているから、合計7人である。事故死(車とヘリコプター)3人以外に病死が4人ある。病死のうち2人は現役の大臣でインドの病院に搬送されて亡くなった。2か月という長期の選挙戦に耐えられる体力が必要だということなのか。交通事故が増えてきたことも反映している。

📷 総選挙当日 『Mwananchi』2015年10月26日号  不謹慎ながら国会議員候補ならまだしも、8組の正副大統領候補の誰かにもし何かあり、大統領選挙が延期になったりしたら、壮大な国費の浪費だなぁと思った。過去4回の総選挙で副大統領候補が亡くなり延期になったことが1回だけ起こった。日本の2.5倍の広さの国土を、交通網の発達していない中を巡回するのは大変な体力仕事だ。ラジオでロワッサの演説の声を聴き、テレビで動いている姿や顔の表情などを見ると、当選しても5年間の任期を全うできるのだろうかと心配になった。ロワッサは数年前にドイツで手術を受けたはずだ。政治家はどこの国でも体力仕事なのだろう。それに対してマグフリは演壇上で腕立て伏せをしてみたり、体力のアピールをしていた。

 10月29日にNECから203議席まで確定の発表があったのだが、その後新聞などではなかなか更新されない。ザンジバルのウングジャ(ザンジバル島)部分が引っ掛かっているのか、今日まで待ってやっと215議席まできた。それによるとCCM147議席、CHADEMA34議席、CUF(市民統一戦線)32議席、NCCR1議席、ACT1議席となっている。今回争われた議席は259議席だから、残るは44議席である。現在の野党議席の合計は68議席で31.6%、前回が239議席中54議席で22.6%だったから、伸びているとはいえ大幅とはいえない。目標の3分の1には届きそうもない。

 野党、特にCHADEMAはアルーシャ州、キリマンジャロ州では圧勝し、キリマンジャロ州では9議席中7議席を奪った。ダルエスサラーム州でも野党(CHADEMAとCUF)が10議席中6議席を奪い、CCMの得票数を凌駕する。ほかにも、タンガ、イリンガ、ムベヤ、ムトワラ、ブコバなどの州都所在地という都市部でも強かった。ただ、前回押さえたムソマ、リンディ、タンザニアの第二の大都市ムワンザの2議席も取り返された。ムワンザ、ゲイタ、シミユ、シニャンガといったヴィクトリア湖南岸のスクマ人の居住地域では、マグフリの出身地ということがあるのだろう、CCMが好調だった。

 野党連合(UKAWA)による統一候補擁立作戦の成否は最終結果を待たないといけないが、ある程度は功を奏したと思われる。ザンジバルに偏り、タンザニア本土では2議席以上を獲得したことがなかったCUFは今回、タンガ、ダルエスサラーム、リンディ、ムトワラ、タボラ州で10議席を獲得している。CHADEMAは第一野党らしく議席を伸ばした。一方NCCRはキゴマ州で持っていた4議席を全部失い、代表のキリマンジャロ州の議席だけになりそうである。100人以上を擁立したACTはカブウェの1議席だけで終わるだろう。ただ、今まで野党が一度も議席を獲得したことがなかった州が7州あったそうだが、今回タンガ、ムトワラ、モロゴロ、タボラ州で野党が議席を獲得し、残るはプワニ、ドドマ、ルヴマの3州となったという。

 タンザニアの有権者の見る目が厳しいのか、現職の国会議員の落選・交替はけっこう多い。今回も、現役の大臣では老練のワシーラ農相やチザ国務相が落選した。選挙期間中に亡くなった2人を含めると4人の大臣が消えた。元大臣や現役の副大臣の落選も続いた。野党では、1995年の大統領選挙に立候補したムレマ(TLP=タンザニア労働党)やチェヨ(UDP=統一民主党)が国会議員選挙で落選し、時代の移り変わりを感じさせる。また、エスクロウ・スキャンダル追及でカブウェと並んで活躍したNCCRのカフリラも落選したようだ。一方でそのスキャンダルにまみれて大臣を辞職した、ティバイジュカ元土地相やチェンゲ元法務長官は再選を決めたようだから恐れ入る。

📷 当選確定 『Mwananchi』2015年10月30日号  今回の本土での登録有権者数の52.5%を女性が占め、男性のそれを115万人上回った。また若者層(18~35歳)が57%、壮年層(36~50歳)が25%、年配層(51歳~)が18%という年齢構成だった。この人たちの投票行動には分析が必要だろう。大いに盛り上がっていたように見えるが投票率は67%にとどまった。前回(2010年)の43%は上回ったが、1995年以来の総選挙のなかでは下から2番目であった。盛り上がりが実はそれほどでもなかったのか、あるいは投票時間が短くて投票できなかったのか。混乱を恐れて投票に行かなかった人たちも周りにいる。

 ザンジバル自治政府の選挙の方はというと、予想通りというか、不透明な状態になっている。10月28日にザンジバルの選管(ZEC)の委員長がラジオで「ザンジバル大統領と議会の選挙の無効、再選挙」を宣言した。その理由として、ある選挙区では登録有権者数より多くの投票者数が出たとか、有権者による選管係員に対する脅迫などを挙げているが、具体的に納得させるような理由とは思えない。おそらく最大の理由は、CUFのセイフ・シャリフ・ハマドが26日の夜に具体的な票数(200,007対178,383)を挙げて、勝利宣言をしたのが引き金だろう。

 ザンジバル大統領選挙には、なんと14政党の候補者が立候補しているそうだが、実質的にはアリ・シェイン大統領(CCM)とセイフ・ハマド第一副大統領(CUF)との一騎打ちである。セイフは1995年から立候補していて今回が5回目の立候補である。最初の1995年、50.2%対49.8%という薄氷の差で惜敗。ただし、この時は健在だったニエレレ元大統領の介入があって、ひっくり返されたと信じられている。その後の選挙も毎回接戦で、流血騒ぎが繰り返された。前回も49.3%対48.3%という僅少差でシェイン候補が勝ったのだが、選挙前の取り決めで連立政権が樹立されることになっており、すんなり第一副大統領に収まった。

 タンザニア連合政府の憲法改正問題(「新憲法の混乱」など参照)で表されたザンジバル人の自治権強化=「三つの政府」志向が追い風となり、今回の5回目の挑戦で、悲願に手が届くと見られていた。選挙運動中も、相手を批判することよりも「選挙結果を受け入れよう」という主張が多かったように思われる。それだけ自信があったのだろうし、またザンジバル内の各投票所にはCUFの立会人がいるから、正確な票数も把握していただろう。自信が先走りしてしまったのだろうか。

 今回は連合政府は警官隊だけではなく、軍隊も待機させているという。CCM連合政府は、「三つの政府」は、ザンジバルの分離につながるから認められないという立場である。武力で押さえこもうとすれば、流血は避けられないだろう。この3日間ほどザンジバルでは奇妙な静けさが続いているという。もうすぐ任期の終了するシェイン大統領は沈黙を守っているようだ。水面下で平和を維持する努力が続けられていることを信じたい。

 国会議員選挙の最終結果やザンジバル自治政府の選挙の動向が、今日(11月1日)現在ではまだわからないので、不十分な報告となったが、速報ということでご了解いただきたい。新聞報道の数字には明らかに間違っているものもあるし、一般に人から聞く話も本当だったら大変だなと思うことがままある。公式発表以外の数字を流すと処罰を受ける法律も成立しているようだし、分析には十分注意しないといけないかもしれない。日曜日、自宅が2回も停電になって、あぁ、選挙が終わったんだなと気がつかされたという思いである。

 マグフリ当選者は、10月30日に当選証書を受け取り、11月5日に宣誓式、その後直ちに首相指名、内閣を組織して「仕事に入る」といいうことである。

☆参照文献・統計☆ ・『Mwananchi』2015年10月15日、18日、25~31日号 ・『The Citizen』2015年10月15日、18日、25~31日号 ・『The Daily News』2015年10月26日号 ・根本利通『タンザニアに生きる-内側から照らす国家と民衆の記録』(昭和堂、2011年)

(2015年11月1日)

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