根本 利通(ねもととしみち)
チヌア・アチェベ著、粟飯原文子訳 『崩れゆく絆』(光文社古典新訳文庫、2013年12月刊、1,120円)
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チヌア・アチェベが亡くなってから1年が経過した(『チヌア・アチェベのこと』を参照してほしい)。その当時、アチェベの著作をダルエスサラームの書店で探したが、見つからなかった。今年になって本書(英語版)が見つかった。また昨年12月に邦訳(新訳)が出て、それも入手できたので比較してみた。
本書を日本語で読んだのは30年以上前になる。門土社から出た古川博巳氏の翻訳でである。今回の新訳はいわくつきの出版社から出たから心配していたのだが、イボ「族」となっていなくてイボ「人」となっていたので、ほっと安心して読みだした。
あらすじを詳しく述べることは、物語のネタばらしになるので止めておこう。太い軸としては、ウノカ-オコンクウォ(主人公)-ンウォイェという三代の男(家長)の流れがある。そしてこの流れの延長線上に本書の続編に当る『No Longer at Ease(もはや安楽なし)』の主人公であるオビが四代目の男になる。
オコンクウォは典型的な家父長的男性主義者で、勇士であり戦争の英雄である。その名声と勤勉な労働で、氏族の長老、最後は長を目指している。そこに偶発的な事件が起こり流刑のような形になり、最後は帰郷するが外来のキリスト教と植民者と対立して挫折することになる。
小説というより物語という趣で、おそらくイボの人たち(だけではなくヨルバなどの西アフリカの人たちにかなり共通)の、無文字社会の伝統的な言い伝えが随所に散りばめられている。例えば、
「蚊が耳に結婚してくれ、とプロポーズしたところ、それを聴いた耳が笑い転げて床に落ちてしまった。『あんたは、自分がどれほど長生きできると思っているのよ?』と耳は言った。『あんた、もう骸骨じゃないの』侮辱された蚊はその場を去ったが、のちに耳の近くを通りかかるたび、俺はまだ生きているぞとささやいている」(P.124~5)。
それ以外にも、鳥たちを騙して空の大宴会に連れていってもらった亀の話などが挿入されている。そういう物語は、だいたい食後、母たちが子どもたちに語る昔話で、オコンクウォは女たちのくだらない話とバカにしながら、自分も夢に見たりしている。現在、アメリカ合州国に住み活発な文学活動を続けているアディーチェが将来アフリカ文学のなかに分類されるか、あるいはそういった分類すら乗り越えていくかは分からないが、イボ人による物語性をもった文学だと感じている。
人びとは伝統的な共同体の精霊に対する信仰、あるいは怖れに縛られ、村の長老や巫女たちに支配されている。それを原始的な呪術、迷信と笑うことは現代からなら可能だろう。しかし、科学性の名のもとに、そういう精神を「遅れたもの」と見なしてきた現代の精神も今や混沌としている。オバンジェ(邪悪なこどもの霊)と見なされたエズィンマとその母のエクウェフィのエピソードは痛々しい。
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チヌア・アチェベ
キリスト教化の問題についてである。ウムオフィアで最初に改宗した人びとの中にOsuと呼ばれる被差別民がいた。社会のなかで差別されている集団が改宗するというのは、インドにイスラームが浸透してきた段階で、カースト制度のなかで不可触賤民と呼ばれていた集団が改宗したことがあったようだ。また女性とか、双子とか社会のなかでおとしめられたり、忌避されている人びとを受け入れて、小さな共同体は成長していく。しかし、その初期に改宗したンウォイェは、その数十年後に息子が婚約者としようとしたOsuの女性を拒否したのである。(『もはや安楽なし』
時代設定についてである。私のナイジェリア史の知識も手持ちの参考文献も乏しいので、きちんと考証したわけではない。ナイジェリア東部のイボランドは、18世紀は盛んな奴隷貿易が行なわれた場所として有名である。1861年英国はラゴスを占拠し、王立ナイジャー会社がニジェール川沿いに内陸に進出した。1900年には南部ナイジェリア保護領となり、1914年に北部ナイジェリア保護領と合併しナイジェリア植民地が成立した。
本書の時代背景はそのいつの時代なのだろうか。本書の叙述のなかでオコンクウォの年齢を追っていくと、矛盾と思えるようなことがある。この物語の始まった時、オコンクウォが38歳から48歳の間のどのへんだったかがわからない。18歳でレスリング大会で名声を博した時に、ほれ込んで後に押しかけて来た第二夫人であるエクウェフィが30年経って45歳という記述がある。しかし、30年前にオコンクウォの母親が亡くなった時に、まだ幼かったという記述もある。オコンクウォが亡くなった時には50歳代の前半だったのだろうか。
一つ確実な年代があって、作中に出てくるアバメの虐殺事件のモデルであったアヒアラの虐殺事件は1905年のことだという。となるとオコンクウォの時代は19世紀の末、英国がイボランドをニジェール川川沿いに遡上していった時代。1900年に南部ナイジェリア保護領に再編され、1914年に北部と合併してナイジェリア植民地が成立する前夜であろう。従って、この物語で語られた期間を12年間くらいだとすると、1900~1912年くらいだろうか。
『もはや安楽なし』の主人公であるオビは、独立前夜のナイジェリアで20代の後半だろうと思われるから、ちょうどアチェベと同じ1930年生まれくらいだろう。その父であるアイザック(=ンウォイェ)は25年間の教会の教理問答師を引退し、年金生活を送っている。ンウォイェは18歳ころに改宗し、その後教会の学校に通い、教員養成学校に通ったとなっている。
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『Things Fall Apart』(2008年版)
不満というか、違和感を少し述べたい。まず、冒頭の「訳者まえがき」は反則だと思う。チヌア・アチェベの略歴、その当時のナイジェリアの歴史的背景を説明するだけならともかく、アチェベの創作の狙いにまで触れるのは越権行為であろう。そういうのは、「解説」に置かれるべきであって、「まえがき」に書かれるべきではないと思う。これから文学を味わおうという興趣を削ぐことになる。
私の手許にある2008年の英語版にも冒頭に紹介文が載っている。原著にはもちろんなかったはずだ。英米の書籍の常識は知らないのだが、著者以外の人が「序文」として解説を最初に載せるのが一般的なのか。この英語版でも冒頭にマラウィ人の英文学者(ロンドン大学教員)Msiskaが踏み込んだ解説を書いているが、違和感が残る。
さらに本文中にある訳注について。これは訳者は悩んだ末の選択であったことは「訳者あとがき」に記されている。訳者のいうように「民族誌」的雰囲気を助長することになり、まずは文学-物語として読みたい私はできるだけ無視して読み進めるようにした。しかし、同じページにあれば否応なく目が行ってしまう。巻末に訳注をまとめて置いてくれた方がよかったと思うが、これは意見が分かれるかもしれない。私自身が文学としてよりも、歴史史料として読んでいる比重が高いので、偉そうなことは言えないのだが。
また、アチェベを「アフリカ文学の父」と称するのもいかがなものかと思う。英語版の序にあったように「英語によるアフリカ現代文学の父」というのがいいのではないか。そうしないと、アフリカの口承文学、長い歴史を持つ伝統をを無視しているように思えるのだ。夏目漱石を「日本文学の父」とは呼ばないのと同じことだろう。売らんかなの惹句なのか、「訳者まえがき」といい、これは訳者の意向なのか、編集者の意識なのかと疑ってしまった。
私は日本語でまず通読し、その後で訳注をまとめて読み直し、解説を読んだ。その後に英語版を日本語と対照しながら読んだ。日本語がわかりやすくこなれた翻訳で、かつ訳注も丁寧に付けられているので助かった。
おまけである。このノートを一通り書き終わった後、ウェブに出ている書評を検索してみた。概ね好評なのはよかったが、イボ「族」と書いている人がいたのには参った。訳者がちゃんとイボ人、イボ民族と表記しているのもかかわらずである。これはアフリカの人びとに対する固定の先入観念がそうさせるのか、あるいは書評者に「部族という表記は差別ではない」という確信があるのかはわからない。しかし『闇の奥』に対して『崩れゆく絆』を著したアチェベが浮かばれないと思った。
☆参照文献:
・Chinua Achebe "Things Fall Apart" (Pearson Education Ltd.,2008, First published in 1958)
・Chinua Achebe "No Longer at Ease" (Anchor Books,1994, First published in 1960)
・チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ、くぼたのぞみ訳『アメリカにいる、きみ』(河出書房新社、2007年)
・中村弘光『アフリカ現代史-西アフリカ』(山川出版社、1982年)
(2014年4月15日)
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